ある朝

法正  2010-01-19投稿
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トントントン。
「達哉!竜治!起きなさい!」
文化住宅の2階に響く何時もの光景だが、今朝は違っていた。
「達ちゃん!父ちゃん救急車で運ばれたわ。」向かいのおばちゃんだった。「取り合えずこれ」
1000円を手渡され、訳が解らず、学校に行った。
夕方、母親に連れられ収容先の病院に行き、意識の無い父を見て、事の次第を少し理解した。
どうも、脳内出血を起こしており、この病院では手術出来無いので、施設の整った大きい病院に移動する様である。
半日近く手の施しようの無いままで、命の危険があると、母親は泣き崩れていた。
3日後、移動先の病院で先生は「命は取り留めましたが、このまま意識が戻らないかもしれない」
母親は、また泣き崩れた。「お母さんも辛いかもしれませんが、意識が戻っても5年もつかどうか解りません。」と続いた。
狂った様に泣き叫ぶ母親、何を言ってるのか解らず、目の前が真っ白になり倒れ込む自分がいた。
その日以来、病院に行く度に貧血を起こすようになり、病院に行くのを嫌がる様になってしまいました。
そうこうしているうちに、過労から母親も倒れ同じ病院に入院してしまいました。田舎からおばちゃんが来て家の事をやってくれるので、生活出来ていましたが、幼い弟が「お母さん、お母さん!」と毎晩泣くのが辛かった。
そんなある日、病院の母親から電話があった。
興奮した声で「父ちゃんの意識が戻った!!」
倒れてから約2ヶ月経っていました。
翌日、会いにおばちゃんと病院に出掛けた。病室にはパジャマ姿の母親が嬉しそうに父親のベットの横にいた。満面の笑みで「良かった、父ちゃんやっと起きたよ!」自分も入院中だというのに・・・。 父親の回復力の凄さと強靭な精神力で、過酷なリハビリを乗り越え、右半身不随と言語障害を残しながらも1年半後に無事退院しました。
その後も彼の努力は周りを驚かせ続けました。
えっ!!今ですか?
私が高3になったばかりの春他界しました。
最初に病院で言われた手術した日から5年過ぎた頃でした。

これは、自分の過去の本当の話しです。父は亡くなる前に家族と過ごせた数年が1番輝いていたと思います。
信じれば、奇跡的な事も起こり得るし、努力は必ず何らか結果をもたらしてくれるんだと、両親に教えられました。

「ありがとう。」
今なら、素直にそう言える。
ありがとう!!



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