「ただきついだけの練習だと、八雲の奴が露骨に嫌がりますからね。苦労しましたよ」
苦笑する哲哉。
この天才ともう一人の異才がいるからこそ、この部には笑顔と笑い声が絶えないのだろうと、大澤は思った。
「真壁は自由奔放だからな、お前も大変だろう」
大澤がそういうと、一瞬哲哉の表情が曇ったようにみえた。
「確かに大変ですけど、不思議と間違った事はいわないんですよね、あいつは。
…それに、自分には八雲に負い目があるから」
「負い目?」
哲哉は静かに頷いただけで、それ以上は何も語らなかった。
大澤もそれ以上は詮索しようとせず、即座に別の話題へと話を変えた。
だがそれが、図らずも前の話題の本質をつくことになる。
「前から気になっていたんだが、小次郎というのは何者なんだ?」
大澤の口からその名がでると、哲哉は驚いて逆に聞き返した。
「誰からその名を?」
「俺の入部を賭けて勝負した時、お前と真壁がマウンド上で話していただろ」
哲哉はさらに驚きをかさねた。
「あれが聞こえたんですか?」
マウンド上での会話をバッターに聴かれぬようにするのは当然であり、あの時の哲哉もそう心掛けていた筈だった。
にもかかわらず、それが大澤の耳にとどいていたのだから、驚くのも無理はない。
「目と耳は人一倍きくほうでな、大歓声の中でピッチャーの独り言が聞こえたこともあるぞ」
大澤の常識はずれな身体能力に、驚きを越えて呆れる哲哉だったが、すぐさま神妙な面持ちで少考し、そして思慮深く口をひらいた。
「……ほかの先輩達は知っている事だから、大澤さんにも話しておきます。
…小次郎は、八雲の一つ違いの弟です」
「一つ違いならば、今は中三か」
頭<かぶり>を振る哲哉。
意味がわからずに首を傾げる大澤に、哲哉はその瞳に悲しみの色を湛えて語った。
「……小次郎は去年の冬から、中ニのまま永遠に歳をとることはなくなりました」
大澤は言葉を失い、その場に立ちすくむことしかできずにいた。
その大澤をよそに、哲哉は遠くを見つめ、言葉を綴り始める。