MLS-001 034

砂春陽 遥花  2010-03-15投稿
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痛み止めが切れたのか、
少し動かしたのが
よくないのか、
唇の傷口が熱かった。

「選ぶ、とは…」

「助けないだけよ。」

眉をひそめた青年を
女は鼻で笑った。

「全身を検査して
助ける子を
一人、決めたわ。」

ゴクリと
唾を飲む音が
耳の奥に響く。

「死ぬまで
目を覚まさない
かもしれない子が、
起きて、
歩けて走れて跳べて、
記憶も知能も\r
何もかも元通り。」

前へ進もうと
踏み出した足が、
地中へ
ずぶずぶと
沈んでいく感覚に
襲われた。

これは、深いぞ。

自身につぶやいた言葉が、
後退りする心を
辛うじて
押し留める。

「リハビリは
長かったけれど、
すっかり
良くなったわ。」

皇鈴の声には、
過ぎた月日に
色を失いながらも、
熱は未だ冷めない喜びが
あふれていた。

明広は、
うなずいた。

が、
実際は硬くなった顎が
ほんの少し
沈んだだけだった。


沼の中、
明広の身体は
沈み続けている。

底の見えない不安。

音にすがりたい思いに
反して、
地表には
冷たい静けさが広がる。


目を閉じた。

意図せず、
眉間に皺が寄る。

彼女を責めることは
出来ない。

分かっていながら、
胸に渦巻く
激しい感情の流れを
押し止めることが
出来ない。


彼女は勇気をもって
一人の子を守り、育てた。

青二才の俺が
つべこべ
言えるものではない。


だが、だがしかし…


…嗚呼、これは怒りだ。

高慢で
思い上がりも甚だしい
科学者に対する
怒りだ。


海滝博士。

明広達が住む
東華地区の惨状、
荒廃と貧困を
もたらした張本人。

傲慢で身勝手な
科学者の像は、
皇鈴の言葉で
一層膨張していた。

「海滝は、
何をしたのですか?」

強い風が吹き、
樹木の太い枝と枝が
重なった。

雨を待つ無数の新緑が
初夏の陽光を遮る。

瞬間、黄昏が
部屋へ舞い降りた。

「何って?」

『ミタキ』と
呼び捨てた青年に、
女の口から
返された言葉は
どこか棘を含んでいた。

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