「……三郎様の事をお考えになられているのですかな?」
義信が退室した後も無言でいる信玄へ、信房が穏やかに語りかけた。
「…そうだ」
少し無愛想にこたえる信玄。
「十年前の事を、後悔なさっておいですか?」
「皮肉なものだ、武田から追い出したあやつだけが、唯一わしを超える才能を秘めておったのだからな。
…だが、後悔してはおらぬ。あやつを手元に残しておけば、家中の勢力が二つに割れていただろうからな」
半次郎の成長した姿や、信玄との会話のやり取りに至まで、詳細に聞き及んでいた信房は、信玄の見解に理解をしめした。
だがその反面、別の結果も存在したのではないかと、信房は考えずにはいられなかった。
半次郎が信玄の跡を継ぐのであれば、武田家は次代も安泰であろうから。
「…しかし、上杉の件はやはり勿体のうございましたな。
確かに大軍を養うだけの兵站庫を確保し、武田単独での天下統一も可能でしょう。ですが、それには長い年月が必要となります。
上杉と手を組めば、大半の大名達は戦わずして軍門に降り、天下は数年で平定したでしょうにな」
「……上杉と手を組まずとも、天下は短時間で統一できるかもしれぬぞ」
不敵な微笑をうかべる信玄。
それを訝しく思う信房は、小首を傾げていた。
「確たる根拠はまだ掴んでいないが、三郎は何等かの形でしゃんばらに関わっているかもしれぬ」
そう考えるにいたった過程を、信玄は語り始めた。
この十年間、それなりの人員と時間を費やし、シャンバラを探索してはいた。
だが、何の手掛かりも得ることはなく、また信玄自身が興を示さなくなったこともあり、シャンバラは絵空事の噺であったとして、信房の中では完結していた。
それがこのような形で振り返すと、さすがの信房も動揺を隠せずにいた。