坂を上った所にあるアンティークな喫茶店には、白髪で蝶ネクタイをした紳士的な装いのマスターがいる。
マスターは、朝 喫茶店に来るとまず、通りに面した大きな窓ガラスの掃除を始める。
濡れた新聞紙でキレイに磨き上げてから、拭き取る。
その窓からは、日々折々の景色が見られる。
そう…。
一枚の絵画のようだ。
次にくまなく店内を掃除する。
掃除が終わるといよいよ本業の珈琲の準備。
マスターは、何十種類の珈琲をその人の好みに合わせてブレンドしてくれる。
なんとも 贅沢な 喫茶店だ。
もちろん!ケーキも自家製。
とにかく、マスターは、凝り性である。
それが、多くのファンを引き寄せるのだろう。
いや…
違う。
マスターの 淡々としたやさしさに引き込まれていくのだろう。
何人もの出会い、別れ、誕生、裏切り、そして愛情を見てきた。
決して、変わることなく、変えることなく。
マスターが開店間近に必ずやることがある。
あの窓の下に見える花壇の手入れである。
花は、裏切らない。
ただ…その人を幸せにするためだけかのように咲く。
マスターの細かな心遣いである。
そして、秋になるとその花は、咲き誇る。
満開のその花の景色を見ながら語りあった二人は、必ず結ばれるという神話が生まれている。
マスターは、秋になると必ずこの花を満開にさせる。
そう…。マスターが愛した女(ひと)が…
生涯たった一度だけ愛された女(ひと)。
その人が好きだった花を今も咲き誇らせる。
その花は…
『ミルトニア』
花言葉は…愛の訪れ
(あっ、そろそろバイトに戻らないと… )
「マスター!ごちそうさま。バイト戻ります!」
「あぁ、由宇君。またゆっくりおいで。」
そして、マスターは珈琲の豆を引き始めた。
今日も ミルトニアの咲き誇るあの席は…愛の訪れを待っている。
(終り)