和ちゃんが帰り、敬太郎の部屋で彼と二人きりになった。少し気まずい雰囲気だったので何か話さなきゃと思い、「敬太郎君は彼女と付き合ってるの?」と、いきなり核心を突いた質問を投げ掛けてしまった。
敬太郎は(何でそんな事聞くんだよ)という様な表情を一瞬浮かべたが、「彼女とは幼なじみじゃ。でもわしは奴の事好いちょる」と、ちょっと照れながらも男らしく毅然と答えた。
「それよりずっと言おうと思うとったんじゃが、ズボンがずり落ちとるの、気にはならんのか。だらしがないけん、ちゃんと上まで上げて履かんか」
「あ、ああ…(これは僕の時代の履き方だと教えた所でしょうがないので)そうだね」
またちょっと気まずい空気になったが、気を遣ってくれたのか、敬太郎から話題を持ち掛けてきた。
「音楽は好きか?東京では今どんな曲が流行っとるん」
僕は少ない知識の中で(この頃かな『美空ひばり』が活躍してたのは)と思い…というか、それしか思い浮かばず、
「美空ひばりは凄いよ、みんな彼女の唄を聴いてる」
「美空ひばり?知らんなぁ」
そりゃそうだろう。今にして思えば彼女が脚光を浴びるのはこれからの話だった。
「わしはなぁ、クラッシックが好きなんじゃ、中でもドボルジャークの第九交響曲は最高にええぞ」
(ドヴォルザークか、中学校の音楽の授業で聴いた事があるな…確か『新世界』というサブタイトルだ。て言うか、今居る世界が僕にとっては新世界だけどな…)
「聴いてみるか?」と言った後、僕の返事も待たず棚からレコードを持ち出してきた。レコードと言っても、当時は今で言うLP盤ではなくSP盤と呼ばれる物だった。
彼はマニアらしく、棚には何枚ものレコードが整然と並んでいた。曲を聴いてる44分の間は会話をしなくて済んだのが正直助かった。
曲が終わった、と同時に敬太郎が「どうじゃ、感動したやろ!」と興奮気味に聞いてきたので、「ああ、エンディングのとこなんか特にね」などと調子を合わせる様に返答したが、敬太郎は「そうじゃろそうじゃろ」と御機嫌な顔で僕の肩を叩いた。何だか少し彼との距離が縮まったような気がした。