1980年1月、二国の外交官は事態の最終決定についてしのぎを削っていた。
二国の名はベルマールとモントリビア。
この二国は両国境上の油田と周辺の島じまの領有権を主張していたが、軍事力に勝るモントリビアは両国間の分割規定を無視し不正に占拠を続けていた。
豊富な量の原油が産出される油田の確保はベルマールにもモントリビアにも不可欠であった…
「貴国は昨年結んだ分割規定を無視していますが、それについては?」
「我々は貴国に全権益譲渡を要求しています。同時に規定の破棄を意味していますが」
…分割交渉は決裂した。
その夜、ベルマールはモントリビアに宣戦を布告した。
その頃ベルマールのマリウス航空基地では、翌日の攻撃作戦についてM.ハボック大佐が、すでに立てられた作戦計画をブリーフィングしていた。
作戦名は、『ライジングサン』。
ライジングサン作戦は、数に勝る敵兵力を使用不能にするために国境付近の航空基地を攻撃するというものであった。そのため、マリウス航空基地には戦闘爆撃機F15やB52などが集結していた。
ブリーフィングを終え格納庫にむかって歩いていたJ・カイエン空尉も参加するF15パイロットの一人であった。
格納庫につくと彼は、愛機に「いつも通り頼むぞ」と声をかけた。彼、いやすべてのパイロットには、夜の闇に浮かぶ機体たちの影は頼もしかったのである。たとえそれが翌朝には粉々な鉄の屑になるかもしれなくとも…