信房に指摘されるまでもなく、段蔵を使うことの危うさは信玄自身の熟知する処だった。
だが、優れた人材を配下に多く集め、それらを自在に使いこなしたいと考えるのは、いわば権力者の性であり、組織をより強固なものにするには必要な事でもあった。
さらに信玄は、段蔵を使いこなすことに別の価値も見出だしていた。
それは、段蔵の経歴に大きく起因する。
段蔵は以前に雇われていた大名家においても、優秀な忍者としてその力を発揮していた。
だが、その家の当主は信房と同じ見解をもち、段蔵を飼い馴らすのは不可能であると判断して、暗殺を計画していた。
それをいち早く察知した段蔵は、敵対していた武田家に身を寄せ、今に至っていた。
そして、彼が以前に仕えていた大名こそが外でもない、宿敵上杉政虎であった。
信玄にしてみれば、政虎が扱いきれなかった段蔵を使いこなすことで、己の優位性を喧伝したかったのだろう。
「近日中に段蔵から報告がはいるであろう。今後の方針を決めるのは、その後でも遅くはあるまい。
それまでは全軍に休息を命じる」
そういって信房に退室を促した信玄。
激戦を終え、当面の戦後処理がようやく片付いた信玄は、信房を初めとする家臣達を休ませてやりたかったし、彼自身も休息を欲していた。
だが信玄は、その翌日には動くことになる。
半次郎が甲斐の国に向かったとの一報が、段蔵によってもたらされたからだ。