主観的とは人間性の否定だろう。主体と客体である人間の関係に於いて、主体はあくまで主体に過ぎず、客体として見た場合見劣りがある。主体に責任を着せたのではお粗末だ。主体はあくまで人間であり、人間と客体の関係は心の闇だ。
人間が問題となるとき、決まってジャーナリズムなど寓話が犇めく。おとぎは戦争としても、寓話など屁の河童だ。つまり、ジャーナルの本質は語るに落ちたのだ。おとぎの世界である戦争にしても、主観と客体である敵に対して戦争の道具を売っている。
主観を出さず、のべつ意味のない反抗を鎮圧し、犠牲者を少なくする手法は政治的算段だが、経済のある身に於いて、あくまで政治は副産物だ。土産に過ぎない。赤提灯に寄って主観をひけらかす様は、つまり人間を否定している。人間性の否定こそジャーナルの基本かと思える程、醜い醜態を見聞しなければならない。客観を無くし、主観的になるなど言語道断だ。シンメトリーに過ぎない詩の世界だ。