塞ぎ終えた故郷への入口を見据えるノアは、僅かに悲しげな表情をみせていた。
その胸中に去来するものは知る術もなかったが、物悲しげな彼女の美しさに半次郎はただ見入っていた。
ノアは普段の無機質な表情に戻ると、その眉目秀麗な顔を半次郎にむけて開口した。
「ワタシが教えた気の理論は理解したようだな。後は自修自得で極めるがいい。
剣術についても同じだ、もともとワタシの剣は本能のおもむくままに振り回すだけのもの、人に教えられる代物ではない」
「…私が気を極めるには、どれくらいの時が必要なのでしょうか?」
半次郎は気に秘められた無限の可能性に、興味を持ち始めていた。
「十年はかかるだろうな」
「十年……ですか」
それではかかりすぎると、半次郎の表情が訴えていた。
「オマエ、思い違いをしていなか?
気や剣術を極めても、世の中を変えることはできないぞ」
ノアは手頃な石を見つけて腰掛けると、困惑ぎみの半次郎を見つめた。
「順をおって説明してやる、先ずは川中島での事象だ。
上杉と武田が手をむすべば、それはこの国で最大最強の勢力になる。それが戦乱を終わらせる最短の策だと考えたのは、おそらく正解だろう。
…だが、信玄が頷かないからといって殺害するなど、短慮以外の何物でもない」
直立不動で虚心に聴き入る半次郎。
ノアは淡々とした口調で話を続けた。
「信玄を殺したところで両家の抗争が激化するだけだ。
上杉一勢力だけでは戦乱の終息に何十年もかかり、その途上で政虎が倒れればそれで全ては水泡に帰す」
上杉政虎に実子はなく、それ故にこの希代の戦争の天才は、一代限りの存在になるであろうとノアはみていた。
史実として上杉謙信の次代は養子の景勝が継ぐが、彼は動乱の時代を善戦するも時勢に逆らいはできず、その勢力は衰退の一途をたどることになる。