地区予選初戦の日、目に映る空は初夏の訪れに満面の笑みを讃え、その蒼さに橘華ナインは心躍らせていた。
マウンドにたつ八雲は、球場を駆け抜ける南風を全身で感じ、その清々しさに笑顔をうかべていた。
この日の対戦相手である鈴宮工業高校は橘華とともに前評価が低く、注目度の低い試合になっていた。
そのため観客席は疎らで、野球観戦よりも初夏の風物詩を楽しむといった雰囲気であった。
だが、八雲の投球がその雰囲気を一変させる。
試合開始のサイレンが鳴り響く中、八雲は大きく振りかぶる。
そのしなやかなフォームから白球がはなたれた直後、哲哉の構えるミットを破裂させんばかりに打ち鳴らした。
一瞬の静寂がスタンドを支配した後、観客達はその爆音にざわめきだしていた。
その観客達をよそに、八雲はテンポよく哲哉のミット目掛けて投げ込んでいく。
結局八雲は、変化球を拒んだまま試合に臨んでいた。
その八雲に対し、哲哉は辛辣な妥協条件を提示していた。
八雲は最速で百四十五キロまでだせるようになっていたが、それを三キロ区切りで十段階にわけ、指定したコースへ寸分違わずに投げるよう、要求していた。
当初八雲は、
「そんな器用な真似、できねぇよ」
とごねていたが、一週間もたたぬ内にマスターしてしまい、哲哉を呆れさせていた。
しかもその投球ホームは完璧であり、そこから速度の違いを見分けることはできなかった。
八雲と哲哉のコンビがいとも簡単に三者連続三振を成し遂げると、観客のざわめきは何時しか歓声へと変わっていた。
「随分といい笑顔をしてたじゃないか」
ベンチに戻った哲哉は八雲の隣に腰をおろし、プロテクタをはずしながら語りかけた。
「マウンドに吹く風が、小さい頃に小次郎と遊んでた時の記憶をはこんできてくれた。
やっぱりあの場所はいいな」
屈託のない笑顔をみせる八雲に、哲哉も満足げに微笑んだ。
「先ずは順調な滑り出しだが、次のバッターには細心の注意をしてくれよ。
大澤さんほどではいわないが、相手打線で唯一の長距離ヒッターだからな」
自分の打順に備え、バットを手にしながら語る哲哉に、八雲はそのままの笑顔でこたえた。
「おぅ、任せとけぃ」