小学五年生の頃だったか。
自分自身の「存在意義」が知りたくなった。
いままで何の為に生きてきたのか、
これから何の為に生きればいのか、
それが知りたかった。
反面、それを知ってどうする?という考えも当然あったけど。
その頃の考えは「生きる意味が見つからないなら、それを探す為に生きればいい」
当時は十分な答になった。
けれど、今はもうその答は言い訳にしか見えない。
存在意義を探す為に生きればいい。結局それは、唯単に死ぬのが怖いからそれを覆い隠す為の言い訳に過ぎない。
結局、存在意義なんて在りやしない。
合ったところで、それもいつか消えてなくなる。
じゃあ、存在意義が解らなくて死んでしまいそうなら?
貴方の為に憐れんでくれる、泣いてくれる人を探すといい。
この世に生きる人間全てが貴方の敵。───そんなこと有り得ないのだから。
貴方の為の止まり木を探すといい。
きっと見つかるから。