「お兄ちゃん…?」
コンっと一度だけ短いノックをして、ドアの中に呼び掛ける。
あれから3時間。
「まだ寝てるの?」
もう一度呼び掛ける。
−−あんな顔のお兄ちゃんは初めて見た。
あんな、はっきりと瞳に濃い影を落とした表情…。
気になるよ…。
「ねぇ、お兄『起きてるよ』」
はっきりと、でも短く声が聞こえた。
「…ご飯食べないの?」
本当はそんなコトが言いたい訳じゃなかった。
「…雪月花」
呼ばれる。
少し沈んでいる、私を呼ぶ声。
大好きな…声。
「…中に入ってもいい?お兄ちゃん?」
少しの間を置いて、「ああ」と返事が返ってくる。
そっとドアノブを回して中をのぞく。
お兄ちゃんは、窓辺にもたれ掛かるように片膝を立てながら座っていた。
夏の夜のいくらか涼しくなった風が、お兄ちゃんのちょっと長い前髪を揺らして消えた…。
†
「…お兄ちゃん、ごめんね…。さっきは少し言い過ぎたよね?……怒ってる?」
するんと中に入りドアの前に立ったまま、問いかける。
お兄ちゃんはふっと微笑んで「まさか」と言った。
「悪いのは俺だよ?なんで雪月花が謝るんだ?…そーだよなぁ。生徒会に入ってから、そういう付き合い多かったもんなぁ。…まぁ、母さんや父さんとの食事は多少すっぽかしていいとしても、お前一人にしたコトもあったもんな……」
すっと立ち上がり、近づいてくる。
「ごめんな?」と私の瞳をのぞき込んで頭を撫でられる。
小さな頃からくり返される、私とお兄ちゃんの仲直りの仕方。
撫でて貰うだけで、安心出来て…。
その度に愛しい…切ない…苦しい。
いつだったっけ?こんな気持ちが<好き>の感情だって気がついたのは。
「ねぇ、お兄ちゃん。変だよ?どうしたの?」
「何かあったの?」と聞いてみる。
けれど、お兄ちゃんは優しく微笑って「いいや」と嘘ぶく。
いつもそう。
いつも明るくて、優しくて、決して他人(ひと)に本心を見せない。
見える部分は全て<生徒会長>のあなた……。
「何もないよ。腹減ったな。…雪月花もちょっと付き合えよ。兄ちゃん一人じゃ寂しいしさー」
笑って私の肩を抱き、部屋を出るように促す。
結局、あの瞳の影はなんだったのか解らないまま…。