政治と金の問題だな。政治が金庫で、頑丈な時に、開かないといって金を要求する政治的手法さ。今だったらいえる問題も、尚更、頑丈にしてしまい、開かないように密封してしまう。
金庫番である政治家は、茶の道具を集めるに全国を遊説してまわり、一票の価値を茶に煎じて、何倍もの効果を発揮する。茶の集まりである彼らの道徳は、モラルなど人間と懸け離れている。
政治が欲しい時に、中に金が無いと、借金してでも金を掻き集め、何故、金が必要かを金庫を通して語る。金庫に金が無かったら金庫とは呼べず、政治家モラルの認識は、闇に隠れたウサギかしか有り得ない。
馬で弓を放ち、矢を射るのはその為だ。何の為に、金の為に金庫番をしている日常を思えば、有権者がどう動くかなど関係ない。貸し手と借り手があるだけだ。政治モラルの認識の低下は、借金を抱えただけでも浮き彫りになる。
貸し手である政治認識が必要だ。借り手としての猫の小判では使い物にならない。風紀は乱れ、貸し手が倒産するかも知れない。それは総辞職など顔ぶれだ。猫の小判を使っていたのでは風紀は保たないだろう。