信用とは守るものと失うものとが同時進行だ。富の源泉は紐解いても律儀と懸け離れている。では富の源泉を何処に持ってくるか。富の源泉では、人間は資本だが、資本以外で人間に働きかけるもの必要だ。
それは英断とか、人間を拘束するものでも、資本といってしまえば英断も資本になる。決断力が育たなければ英断とはいえず、判断力が無ければ英断は出来ない。先見性を養う意味での決断は誰でも持っている。
先見性、それは未知の予言だが、人間の決断力に予言は必要ない。先見性が齎した雲かも知れない。人間を困らす雨かも知れない。では困ったとき決断すべきは勇断に任せて、人間を元の木阿弥にはめる。
つまり、結果がいのちであり、結論は露など霜にもある。いずれ英断が待ち受けており、人間の良からぬ者共は地の果てに追放されるであろう。結果が楽しみだが、追放すべきは追放して当然の結果を手に入れるまでだ。