冷たい風の中を、黒く長い髪が舞う度、人の身体が、次々と飛んでゆく。
「まだやるのか?…キリがないな」
アルファ・カーマイン。
あまりに動きが速いので、どう投げているのかは解らないが、この二、三時間の間に、彼はゆうに百五十人は投げたはずだ。表情一つ変えずに。
「そうだ、黙って、そこを退くことだな」
じり、じりと音がする。
彼は一握りの砂を投げ、私…ソフィア・ルーセントの手を取って走り出した。
「どうにか、撒いたな」
七キロばかり逃げて、彼はやっと安心した。
「なあ、大丈夫か?」
「…っ、く、苦しい…!」
「・・・。歩こう。ゆっくりと…」
どんどん山に近づいているのに気づいた。
なるほど、確かに市街地よりは安全かあ…
「いつかは、ここを立ち退かなければいけないだろうな。それがいつかが問題だけど…」
『立ち入り禁止』の看板を外しながら彼は言った。
「最終手段は、あるにはある。その時は携帯電話を貸して欲しいんだ」
彼が看板を戻し、私は携帯の電源を切った。
「自分の、持ってないの?」
「持ったこともない」
「…ふうん。今時、珍しいね」
どこからでもインターネットに接続できる、所謂『ユビキタス社会』にも、そういった人がいてもおかしくはないけれど、実際に出会うとは思ってもみなかった。
「でも、携帯、使いこなしてなかった?」
「ああ、物は与えないくせに、使い方だけは教えてくれやがる、あのクソ親父は…」
いきなり口の悪くなった彼を見て驚いてしまった。
「…ゴホン…それより、寒くないか?」
「うん…ちょっとね…」
もうすぐ、冬になろうという頃だった。
「今年は、かなり寒くなるらしいな…」
温暖なこの国の事だが、かなり強力な寒波が襲って来るとか、言ってたっけ…
「室内で話す事を想定して、この格好だから…」
「…まあ、暖かい日も来るだろうけど」
彼のジャンパーが、私の目に留まった。
「そのジャンパー、暖かそうだね」
「これだけは貸せない」
「ええっ、なんで!?」
それは、そんなに高価そうでもなかった。
かれは、こう言っただけだった。
「悪いな。大切なものなんだ」