いつも笑顔だった彼女が泣くところを見たのは一度きりだった。
いや、正確には泣いてなんかいなかった。
ただ、僕が勝手に『泣いてる?』って思っただけで。
それはバイトのこの勘違いというか、被害者意識というか、
とにかくそういう事実なんてまったくなかったのに。
彼女はこの店から異動することになってしまった。
いつものように閉め作業をして、
いつものように事務所に戻り、
日報を打ってる。
僕はとなりで明日使うタオルをたたんでる。
そんなときだった。
異動の話をきいたのは。
『来月から店長変わるから』
彼女はパソコンにむかいながらいたって冷静に言った。
無表情で。
僕の頭は真っ白になった。
つぎの瞬間、僕はすごい剣幕で彼女にくってかかっていたんだろう。
彼女はきょとんとしていた。
『…びっくりした』
少しの沈黙の後、彼女が発した台詞はそれだった。
なにを言ったかよく覚えてない。
とにかく『なんで!?』とか『嫌だ』とか、
そんなことだったと思う。
『ありがとう』
彼女は伏し目がちに静かに言った。
『ちょっと肩かしてくれる?』
そうして彼女は頭をこつんと僕の右肩にくっつけた。
どのくらいだろう。
僕と彼女はしばらくの間そうしてた。
わずかに震えてた彼女の肩がやけに細く見えて。
僕はあのとき彼女を抱いてやればよかったんだろうか。
でもできなかった。
必死に涙をこらえる彼女を目の前にして、
なにもできずにいた。
次に顔をあげた彼女は、
もういつもの気丈な彼女だった。
泣いた彼女を見たのは後にも先にも
あの一度だけだった。