「この部屋の…掃除を?」
「ええ。担当してもらう部屋は毎日変わります。今日は池田さんにこの部屋の家具や調度品を磨いていただきます。」
そう言うと高嶋は1枚の雑巾を手渡した。
「隅々まで丁寧に、磨きあげてください。」
「待てよ。家具とか調度品って…この部屋のやつ全部か?」
「もちろんです。」
部屋にはざっと見ただけでタンスや棚が10個以上あった。
これをいちいち雑巾で磨けというのか…
「1日じゃ終わんねーって…」
「やる前から諦めてはいけませんよ。」
天井をはたきがけしていた囚人が声をかけてきた。
「はいはい…分かりましたよ。」
俺は高嶋から雑巾を乱暴に取り、部屋に入った。
「昼食時にお呼びいたします。では…」
高嶋はお辞儀をして去って行った。
「やれやれ…」
この広い部屋にいくつも置かれた家具や壺。
これを磨き上げるのに何時間かかるやら。
俺はゲンナリした表情で仕方なく手近にあった小物棚を磨き始めた。
「それではだめですよ。」
力任せに拭いていると、囚人の一人が近づいてきた。
「え…?」
「優しく、丁寧に、慎重に、汚れを拭っていくのです。」
「はあ…」
「こんな風に…」
俺の手から雑巾を取って、棚を拭くのを見せた。
ほとんど力の込もらない、普通の拭き方だ。
雑巾を返された俺は、今見せられた通りに拭いてみた。
「棚を磨いているのではなく、あなた自身を磨いていると思ってやってみてください。」
「俺自身を…?」
「犯罪に手を染め、一時悪に汚されてしまったあなた自身を、ゆっくり、時間をかけて磨くのです。」
「…」
「そのような棚ひとつでも、自分の手で磨けば気持ちがいいでしょう。」
ほうきとちりとりで床に落ちたほこりを掃除していたもう一人の囚人も俺に話しかけた。
「ひとつずつ丁寧に、ね。」
「はい…」
俺は再び棚を磨き始めた。
隅々まで丁寧に、繊細に…
やがて棚を磨き終えて、手を止めた。
少しほこりがかぶって汚れていた棚は、見違えるほど綺麗になった。
「なかなかいい出来ですね。」
「その調子ですよ、池田さん。」
「ありがとうございます。」
俺はここに来て初めて心から笑顔になることが出来た。
心の中は不思議な喜びと達成感で満ちていた。
続く