猫はぱくん、と王子の襟首を噛むと、親猫が子猫に対してそうするように、ひょいと王子の体を持ち上げ、トコトコと来た道を戻るように走り出した。
「ジーナ!」
王子の必死な声を聞きながら、しかしジーナは振り返らなかった。
ジーナはすでに目の前の壁一点に意識を集中させていた。
剣を両手で横に構え、何が飛び出してきてもいいようにする。足を少し引き、腰を低くため、衝撃に備えた。
今回の生成は長かった。青い壁は性質を変え、ぶくぶくと泡立ち、巨大な何かを生み出そうとしている。
王子達の声と気配が消えた頃、ようやく歪んだ壁から、ぬらり、と何かが抜け出してきた。
それは人間だった。禿頭の大男で、むき出しの腕は丸太のように太く、赤く血走った目をぎらつかせている。手には鉄のメリケンサックを装着していた。遥か高みから目の前のジーナを見下ろすと、大男は口端によだれを垂らしながらにやりと笑った。
ジーナも不敵に笑い返した。
そして両者は、沈黙したまま死闘を開始した……。
−−どのくらい時間が経っただろう。
ジーナは目に入る血を手の甲で拭い、痛む腹を片手で押さえた。刃こぼれだらけの剣を震える手で構え、再びどろどろと歪み出した青い壁をすさんだ目つきで睨む。
ボールは一時もジーナを休ませてはくれなかった。大男をなんとか無傷で倒し、しかし疲労困憊に陥った体を壁にもたれさせていると、再び三つ目のボールが自然と浮き上がり、自ら壁にぶつかった。
その繰り返しで、ボールはもう十九回も異形の怪物達を生み出していた。弱い敵なら三度か四度に分けて、強い敵なら一体のみが出現した。そしてそれらが分離するたびに壁の厚みは減り、トンネルを掘るように穴が深くなっていく。ジーナは死に物狂いで剣を振るった。十五回目以降からは特にきつく、よろめく体に隙を突かれて、いくつか攻撃をまともに受けてしまった。
中には取り逃がしてしまった相手もいる。ジーナの横をすり抜け、来た道を走っていった者たちは、恐らく扉の前で待っているであろう王子達にぶつかったに違いない。しかし幸いにも、取り逃がしたのは弱い敵ばかりだったので、ジーナはさほど心配していなかった。王子と猫なら、それくらいの敵は倒せるだろうと信じていたからだ。
そして、鉄の箱にはもはやボールは残っていない。今歪んでいる壁は、最後の敵を生み出そうとしている。