喜久雄と孝子は、慣れないプロブレムに悪戦苦闘していた。
ニ手詰めという短い手数を侮った喜久雄は、死ぬほど後悔していた。
プロブレムのニ手詰めは、詰将棋の三手詰めとは比べ物にならないくらい複雑だった。
「ここにクイーンを置くと、どうだ?」
「うーん、ここに黒のルークがあるからダメよね」
「あっ、そうか。
じゃ、ここは?」
「そこは、さっき置いたじゃない。
やっぱりダメよ」
「ややっこしいなぁ。
クイーンを動かすのは間違いないか?」
「雅則兄さんのヒントからいくと、まず間違いないわね。
ちょっと、もう十一時を回ったわよ」
「いよいよ時間との勝負になってきたな。
ここはどうだ?」
「そこ?
そこに白のクイーンを置くと、黒はこう打つ。
やっぱりダメね」
食堂のドアが開いて、深雪が飛び込んで来た。
「喜久雄兄さん、出来た?」
「まだだ。
もう少し時間をくれ。
そっちはどうだ?」
「まだなの。
あと五十分しかないのよ。
やっぱりダメかしら?」
「僕は絶対に間に合わせる」
「分かったわ。
こっちも時間内に、きっと見付けるわ」
そう言って、また飛び出して行った。
三階に向かう深雪が、二階の廊下を走っていると、ホールから孝子が呼ぶ声がした。
「深雪姉さん、出来た!
プロブレムの答が分かったのよ!」
深雪は廊下の手すりから上半身を乗り出して、下の孝子に何か言おうとした。
そして、上からホールを見下ろした。
…あった!
そこに彼女の求める物があった。
「あった!
チェス盤があったわ!
兄さん、友子さん!
あったわよ!」
三階から明彦と友子が慌てて降りて来た。
深雪は廊下の手すりから身を乗り出して、ホールを指差していた。
二人も廊下から身を乗り出して、下を見た。
あった!
それも、一目瞭然でこれだと分かる盤だ。
ホールの床全体が、巨大なチェス盤だった。
一辺がニメートル以上もある大理石の一枚板。
それが白と黒の市松模様になっている。
「あまりに大き過ぎて、分からなかった」
「小さ過ぎる駒と、大き過ぎる盤。
雅則兄さんの考えそうな事だわ」
その時、鹿島の部屋のドアが開いて、彼が腕時計を見ながら出て来た。
「あと四十分しかありませんよ」
「分かってる。
あんたは車のエンジンをかけておいてくれ」
「承知しました」