死刑

古代魚  2010-10-19投稿
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 人間を死刑にする必要があるのか。死刑の根本は、人間の資本価値だ。人間に価値が無ければ、死刑であり、国家の予算は死刑に向く。国家が保証した安楽は、人間が資本価値を身に付け、働いて納税する。


 納税もしない人間を、国家の予算で囲うのは、ごく限られた人間だ。未来がある子ども達だ。未来の納税者であるからだ。国のしきたりとして、人間は生きるに値するかだ。人間が生きるに値しなければ、死を宣告するしかない。


 国家の意図で、巧みに死に追いやられた人間は数多くいる。戦争ともなれば、国家の意図は死に向かう。死して当然だ。生きるのは恥ずかしい人間のすることだ。そうなると死刑とは、国家対個人の裁量で執り行われ、国家が必要としなければ死刑も当然だ。


 そこに民間の力である資本を被せ、弁護士を雇っても無罪を勝ち取ろうとする。国家がだらしないのか犯罪が絶えない。給与だけ貰っていれば良いのか。国の為に働こうとする人間が少なくなった。その場限りの答弁で、再犯率は跳ね上がり、未解決事件の数を増やすだけだ。



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