こうして事件は幕を閉じた。
京都と大津は撃たれているので、すぐに救急車によって病院に運ばれ、付き添いには優と長良が乗った。
雪野は事件を思い出したショックと再び目の前で人が死んだことによる精神的ショックと、二日間にわたる逃亡生活で衰弱していたので同じく救急車行きとなった。
その後、マスコミはこのニュースを大題的に取り上げて連日のように報道した。
京都と大津は全治四か月のけがで済んだのが幸いだった。京都の傷はあと五cmずれていたら肺に直撃して危険だったと医師は言っていた。
事件発覚後に裏切りと言う形で事件中連絡がつかなかった雪野の両親は、警察に情報を渡した後に娘を信じてあげられなかった事を激しく後悔していたらしく、雪野が入院していた病院にきた途端に涙を流しながら謝った。
そんな両親を雪野は事件中裏切られ、ショックを受けていたにもかかわらずあっさりと許した。
少し意外な答えに驚いた京都達だったが雪野は
「これ以上事件の被害者を増やしちゃいけないし、私には掛け替えのない両親ですもん」
その答えに京都達は納得した。それが今回の事件で一番痛感した事だから……
監視カメラと京都達が集めた証拠によって、雪野の無実は証明され、二人は表向きには普通の生活に戻れた。
しばらくはマスコミがうるさかったが、時がたつにつれてやってくるマスコミも少なくなった。
後日分かった事だが、杉本もとい滝本は幼いころに両親を失い渡沼が親代わりとして育ててきたみたいだ。しかし、渡沼の教育は異常で滝本が絶対に渡沼に逆らえない様に教育をしてきたという。渡沼の奥さんは変貌していく夫を止められなかったことと、京都と雪野を巻き込んだ事を謝った。
全国民にとってこの事件は色々な意味で衝撃的だったが、どんな事件でも時間とともに風化するものだ。
京都と雪野は風化してはいけない事件と思いつつも現実を受け止めて今を生きた。