貧困政策の見直しに於ける予算は、政策と立法の硲で犠牲者が出た。路上は溢れ、大阪の影は薄れ、浮浪者で充ちている。国は生活保護に明け暮れ、新たな危機として予算に計上される。
失業は満ち溢れ、地震を催す光景に、犠牲者は明日の糧を願っている。国は働きかけ、犠牲者を救い、今後の対応に躍起だ。しかし、国民は臭い物には蓋をしろだ。国民と政府の乖離は何で埋めるか。
予算と編成で構成された新たな自治、つまり、専属の役所がいる。浮浪者や路上生活者を束ね、束ねた生活者に指針を与える。しかし、それは介護と同伴だ。それなら老人ホームと変わらない。
高齢化による失業や期待を何処で埋めるか。蔑ろに出来ない問題でもあり、無駄な時間を必要としない世界だ。安楽に座った椅子で、何時、電流が流れるか知れない。末期に等しい人間を身殺すことは本位でない。
それなら救済の糸を出し、路上生活者を丸め取るのも政策だ。公共事業ならぬ公共の自白である。公共の自白に於いて、主張する場を与えてやれば何が悪かったかが分かる。