虐待はどの家庭にでも在るものと考えました。
何故なら、虐待の一つである暴力(言葉も含む)は、相手の事を思ってではなければ虐待になってしまうそうだからです。
しかし日常親が子を叱るとき、たしなめるとき、しつけるとき。
いつでも子を思って行動できるでしょうか。
私情が入ってはいけません。
自分の怒りが入ってはいけません。
それは親側の勝手な感情ですから。
何が言いたいかというと、虐待しないということは不可能であるのではないかということです。
悲しいけれど、人は人を永遠(とても長い間)に悪い感情を持たずにいることは難しいですから。