オリヴィア・ブルシュティンが死んだのは1942年4月4日、彼女の9歳の誕生日、ポーランドでのことだった。
自動小銃で3発、背中から撃たれ、弾はそれぞれ脊椎、肝臓、腎臓に当たった。
死因は失血死。
その直前、彼女は母に手を引かれ林の中を走っていた。
怖い人たちがつかまえに来るのだと母は言った。あなたのお父さんを殺した人たちが来るの、と。
オリヴィアは母の足についていけず何度も転びかけた。
乾いた音がしてすぐ近くの木の幹がはじけた。
その時母がきつく握っていた手を離した。
また乾いた音がして背中に衝撃が走る。体から力が抜けてオリヴィアは前につんのめって倒れた。
1人駆けていく母の背中が見えた。
彼女は思った。
せめて誰か、誰か1人でも、わたしが今どんなに悲しいか寂しいか知ってほしい。
ひとりぼっちはいや。
オリヴィアはそう強く強く願った。
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2011年4月4日、大学生の山本早苗は東京都文京区の護国寺で咲き始めたばかりの桜を眺めていた。
暖かい風が優しく木の枝を撫で揺らした。
その瞬間、急に早苗は悲しくなった。
青黒い染みがじわじわと広がるようにそれは深くなっていく。
かわいそう…、かわいそうに…。でも、誰が?
涙があとからあとから溢れてくる。
早苗はたまらずその場にうずくまった。
「どうしました?」
誰かが声をかけてくれた。
見ると初老の僧侶が心配そうに覗き込んでいる。
「あの…なんだか、急に悲しくなってしまって…、すいません…。」
「謝ることなどありませんよ。立てますか?」
そう言って僧侶は手をさしのべた。
早苗はその手を見て、何故か救われたような気持ちになった。
「もう大丈夫です。ありがとうございます。」
早苗は涙を拭い、彼の手を掴み立ち上がった。
「今は誰もが辛い時期だと思います。しかし立ち上がる力も誰もが持っていると私は思います。」
僧侶は言った。
「…はい、私もそう思います。」
早苗はそう答え、咲き始めたばかりの桜を見た。
じき満開になり、きっと美しく咲き誇るだろう。
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オリヴィアは最期の瞬間、瞼の裏に見たことのない美しい薄紅の花を見た。
その下で誰かが泣いている。
わたしのために泣いてくれるの?
ありがとう。
本当にありがとう。
そうしてオリヴィアの意識は闇の中に溶けていった。
もう誰も、彼女を傷つけないだろう。
END