上辺だけの付き合いしか持ち合わせがない。それはそれで貧乏だが、人との付き合いで、端的に人間が出るのは金だ。金の話は耳が痛い人間の多くいる田舎とは、自然がないと生きて行けない。自然の多くは漁、田んぼで満ち溢れ、人間が作り出す祭りの賑わいも振る舞いを魅せる。
しかし、原発など近くにあると祭りもお手上げだ。増して都会では政が執り行われ、田舎の模様は寧ろ、都会に必要ない。だとすると都会の在り方として正しいのは、人間と人間の付き合いが出来るかだ。上辺だけのえこじなら、老衰した死体をタンスに隠しても平気でいられる。
そんな都会のギャップを、歪みとして受け止めねばならない田舎とは、都会崩れした人間の来る所ではない。増して、これから出て行く若者は、気を付けないと都会の屑にまみれてしまう。悪い面だけ多く伝わり、良い人間の尊重が伝わりにくくなっている。それは政治が吝かでないからだ。下らない人間の墓石に都会がある。