三年ぶりの実家への帰宅だった。
パーカーのポケットから鍵を出し、玄関のドアを開けると懐かしい匂いがした。
家に帰ってきたんだと実感した。
廊下を抜けてリビングのドア開けると、母がいた。
ダイニングテーブルに肘杖をつきテレビを眺めている。
韓流ドラマのようだ。
「ただいま」と母に声をかける。
「お帰り」俺に顔を向けて言う「ご飯は食べた?」
ちょうど昼前の時間帯だった。
「まだだけど…」少し言葉につまりながら答える。
「先に、部屋に荷物を置いてきなさい」椅子から立ち上がり「ご飯作るから」
「わかった」
俺はリビングを出て階段を上がり二階の自室へと入る。
出て行った頃と変わりはなかった。
(お袋、疲れてるのかな)
そう思ってしまうほど母はやつれていた。
目の下にクマができていたのが見えたからだ。
俺が帰ってくるのに親父と揉めたのだろうか?
俺の名前は宮本勇人。
横浜の大学に通う21歳の三年生
大学に進学すると同時に高校三年間バイトで貯めた金で独り暮らしを始めた。
最初、独り暮らしを決めた時は両親と揉めた。
金銭面、生活力…等々
父は俺に、やめとけと言った。
料理は学校の調理実習でしかしたことないし
無論、家事手伝いもしたことない。
生活力は無に等しいのだ。
それでも、俺は独り暮らしをすると頑なに言い続けた。
すると、父は大学を卒業するまで戻って来るなと言った。
上等だと啖呵を切り家を出た。
しかし、悲しい事に父の言うとおりだった。
学生の本分は学業でありバイトではない。
夜、6時から12時のバイトで月、22日間の入れても12万いけばいい方でインフルエンザにかかり熱を出してバイトにいけなかった時の収入は酷くガスを止められ水で頭を洗った時もあった。
俺はただ、父が稼いでくれた金を使い、母が作ってくれるご飯を食べていたにすぎかった。
俺は降参した。
情けない話し、実家に戻りたいと母に電話したのだ。
母は父が明日、会いに行くと話した。
父は俺に土下座しろとアパートに着くなり言った。
俺は情けなくて悔しくて涙を浮かべ土下座した。
そして、戻ってきたのだった。
俺は、自室に荷物を置いて部屋を出ると隣の部屋からガタッと物音がした。
隣の部屋は妹の部屋だ。
「今日、平日だよな…」
妹の名前は「雪穂」という。3歳年下の18歳で高校生だ。
まだ、学校は春休みにはなっていない、病欠だろうか?
俺は、そう自己完結してリビングへと下りていった。
テーブルの上には、和風ハンバーグとポテトサラダ、ほうれん草のおひたし、ワカメと豆腐の味噌汁が置かれていた。
席に着くと「はい」と大盛ご飯の茶碗を母がくれた。
あまり贅沢ができなかった独り暮らしで母の作ってくれる料理は涙が出るほど美味かった。
俺は食事が済み一服しながら「お袋」と、洗い物をしている母に声をかけた「ユキ今日、学校休んでんの?」
ユキ、とは妹の愛称だ
「…………何で、そんな事聞くの?」
母は振り返らずに言った。
「いや、部屋にいるみたいだったから」
「そっとしといてあげて、今の女の子は色々あるから」
「病気じゃないの?」
「病気…かな」と母はようやく振り返り答えた。「ただ、本人は病気だと思っていないと思うの」
ユキ自身が病気だと思いたくないほど重い病気という意味だろうか?
それとも、病気にかかっているがユキ自身が認めずに無理してるという意味なのか?
俺は解らず「何それ?」と言った。
「そのうち機会があれば話すわ」母はエプロンで濡れた手を拭き「お母さん疲れてるから横になってるわね」と言いリビングを出て行った。
夜、父とは一言も喋らなかった。
晩ご飯時も妹はリビングに下りてこなかった。
俺は風呂を出て自室のベッドで横になっていたときだった。
泣き声が聞こえた気がした。
「やめろよ」俺は呟きながら部屋を見渡した。
俺が出て行ったのをいいことに幽霊が引っ越してきた―なんて勘弁してほしい。
しかし、部屋を彷徨いて泣き声の発生源を探していると壁から聞こえてきた。
隣―雪穂の部屋からだ。
俺は自室を出て隣の雪穂の部屋に向かった。
軽くノックして返事を待たず開けると雪穂はベッドの上でうつ伏せになって泣いていた。
「ユキ、どうしたんだ?」
俺は、たまらず声をかけた。
綺麗な黒の長髪と整った顔立ちの落ちついた雰囲気の妹は「兄さん?」
と、俺に顔を向けた。
「兄さん、どうしているの?…本物?」
「俺に偽物はいないだろ普通」
「そうですね…」
雪穂は鼻声で答えた「なら、なんでいるの?」
本気で俺がいるのが不思議なようだった。
「帰ってきたんだよ」俺は苦笑した「ユキこそ、どうしたんだ泣いたりして」
「……………」ユキは俯いてから、ぼそりと「辛くて苦しくて泣いてました」と答えた。
「何かあったのか?」
俺は雪穂と顔の高さを同じにして聞いた。
「私のこと、嫌いにならない?」
「ならないさ」と答えたが質問の意味が解らなかった。
「私ね、病気なの」
雪穂は、話し始めると同時に目に涙を浮かべた。「精神の病気なの」と左手首をさすりながら答えた。
そして、気づいた。
雪穂の左手首には線のような痕がいくつもあることに…
雪穂も俺の視線に気づいたか両手首を見せながら言った。
「リストカットしたんです……何度か」
リストカットの痕は両方の手首にあった。
「もう……嫌です」涙を流して雪穂は震えながら言った。
俺は、衝撃を受けてはいた。
だが、妹にたいして何でコイツが…とか失望はなかったのは確かだった。
部屋を見渡すと机の上にチャック付きのビニールが三つと本が置いてあった。
一つ目の薬は「不安感や緊張などに伴う症状改善」
二つ目の薬には「ふるえや筋肉のこわばりの改善」
三つ目は「寝つきをよくし、けいれんを抑える」
と書いてあった。
三つ目は睡眠薬だと俺でも分かった。
本は「統合失調症について」という題名だった。
聞いたことがない病名だった。
「統合失調症?」
「それが、私の病気」
ぼそりと言ったつもりだが聞こえたのか雪穂が答えた。
「もう…死にたい」
それが本心から言っていると分かった。
雪穂は、笑顔が素敵な女の子だった。
雪穂も父も実は本当の妹でも父親でもない。
俺は母の連れ子で雪穂は父の連れ子だった。
今も少し壁を感じることもあるが最初の頃よりはマシになった。
雪穂はよく笑っていたのを覚えている。
叱られた時以外はにこにこと笑っていた。
俺は高校生の時はバイト友達や学校の友達と遊んでばかりで家に帰ることはしなかった。
だから独り暮らしも簡単だと勘違いしたのだ。
六年近く雪穂と会っていない気がした。
きっと、母がやつれているのも雪穂のことでだろう。
雪穂は潤んだ目で言った。
「兄さん……助けて」と
俺は、家族のために妹のために何かしてあげたいと考えていた。
家に居らず遊び惚けてばかりで、独り暮らしは簡単だと勘違いして生活が苦しくなったら、出戻りなんてする情けない奴だ。
だからこそ、俺は恩返しがしたい。
妹は俺と兄妹になりたての頃、俺は雪穂や父親にどう接していいか分からなかった。
でも、雪穂は積極的に話しかけてきて仲良くなって、家族になった。
雪穂のおかげで家族になれたのだ
雪穂が、どれだけ心の支えになったのか。
改めて思いだした。
だから――――
「助けてやる、絶対に」
俺が妹の心を支える番なのだ。
俺が家族を繋ぎ合わせるんだ
雪穂を助けてやる。
そう、心と雪穂に俺は誓った。
大切な家族を守るために………