肩を落とし、重い足取りでベンチへと引き揚げる浦賀工業ナイン。
その教え子達を迎える森本は頭を下げ、彼らに敗戦の責任を詫びていた。
全ては、自分の作戦ミスがまねいた結果であると。
勝負を急ぎすぎたと、森本は今更ながらに後悔していた。
持久戦にさえ持ち込んでいれば、控え投手のいないチームになど、いくらでも勝算があったはずなのだから。
それを、三回戦で対戦する予定であった聖覧に想いがはせるあまり、目前の相手を軽視して拙速な試合運びをしてしまったのである。
すべては慢心がまねいた結果であると、森本はこの試合の敗因を分析していた。
だが、森本は肝心な事に気づいていなかった。
慢心したのではなく、慢心させられたのだという事に。
無論、その心理戦を仕掛けたのは橘華の司令塔、結城哲哉である。
哲哉はこの試合、野手を主軸とした守備を前面に押し出した戦術でのぞんでいた。
八雲には百四十キロ前後の球速だけを要求し、制球力と球威だけで勝負を仕掛けていた。
変化球を投げない八雲にこの投球内容では、打ち込まれるのは火を見るより明らかだった。
事実、浦賀工業打線は打撃練習でもしているかの如く打球を飛ばしていた。
だが、これを野手達が懸命に守り抜いた。
それは哲哉の信頼にこたえて余りある働きであり、そのプレーは観客達を大いに喜ばせていた。
この投手であればいつでも打ち崩せると錯覚した森本は、大澤の一発だけを警戒して試合をすすめていった。
だがその思惑は、哲哉の仕掛けた罠によって打ち砕かれる事となる。
哲哉は相手が打ち気とみるや、すかさずその打者が得意とするコースに球を集めた。
彼が辛辣だったのは、相手が気づかぬ程度にコースを外していた事にあった。
球威のある八雲の球ならば、スイートスポットが広い金属製バットであっても、それで飛距離は格段に落ちるのである。
言い換えれば、ホームランにさえならなければ、野手が何とかしてくれるという確信が哲哉にはあったのだ。
そして、試合の進行とともに哲哉の術中にはまっていった浦賀工業は平常心を失い、実力を出しきれぬまま試合を終えてしまったのである。