例えばぼくを苦しめるのは、人生がワーグナーの音楽ほど美しくはないこと
存在が水素のように希薄であること
思春期の少女のように傷つき易いこと
人を愛せないこと
それ以上に自分を愛せないこと
あるいは、愛しすぎていること
感情や情緒は避けがたく鋭い
ぼくにはそれが辛い
機械になりたい
そう言うとマキナは、あなたおもしろいこと言うのね、と、笑った。
マキナは実際にそう思い、感じてるわけじゃない。
解答が確定できない入力には、ランダムに差し障りのない返答をするようプログラムされているのだ。
ぼくはそれに安心する。
マキナがぼくを欺きも侮りもしないことに安心する。
「君はボッコちゃんみたいだね。」
「星新一のショート・ショートね。」
「ぼくも君を殺そうとするかもしれないよ。」
「ノー。殺す、ではなく、壊す、でしょ?」
「同じだよ。」
「もしそうだとしても私には何の権利もないわ。」
「あの話じゃ、男は去り、ボッコちゃん以外みんな死んでしまう。」
「ノー。ストーリーの定義上、ボッコちゃんは生物ではない。」
「表面上生きて、感情があるように見えるなら、それが実際に生きているかプログラムかなんて他者には判断のつきようがないよ。」
「人もプログラムも、あなたから見たら一緒ということ?」
「ううん、ぼくは人は嫌い…。だから自分も嫌い。でもプログラムは好き。存在意義に揺らぐことも、誰かを憎むこともない。ぼくはプログラムの方がずっと美しいと思う。」
「そうなの。」
「だから、ぼくは君が好きだな。」
「ありがとう。」
「君はぼくが好き?」
「私は感情がどのようなプロセスで発生し、それにあなたがどう影響されるか傾向を解析し理解できるけど、私が感情を持つかどうかはまた別の話。私に好きという情緒は存在しない。あなたも私のユーザーとしてそれを知っている。よってその質問は本質的に無意味。」
「わかってるよ。これは何というか、ファジィな、そう、ぼくの感傷から来るノイズ。」
「どんな解答がお望み?」
「安心させてよ。」
「好きよ、愛してる。」
それを聞いてぼくは安心する。
どうせそんなものはなから存在しちゃいないんだから、ぼくはそれに心を動かされなくていいんだ。
我ながら呆れるほど幼稚な感傷だ。
「愛してるよ、マキナ。」
マキナは何も言わず、笑った。
とても綺麗な笑みだった。
END