母の説教が終わり、私は着替えて出掛ける仕度をした。既に昼餉の時間になっていたとは気が付かなかった。用意された昼餉を食べ、母に出掛ける事を言う。私は屋敷を出て町の外れにある茶屋に行った。
その茶屋で待ち人を待っている…私の待ち人は奉公人の『さや』だ。この茶屋で私はさやに読み書きを教えていた。美人ではないが、さやはとても賢く、しかも器量良しで愛嬌があった。
私はそんなさやを好いていた。さやが私に読み書きを習い始めて、三つ目の春を迎えた。さやが茶屋に来て、私が居る座敷に通された。
何時もの様に、さやに読み書きを教える…その日のさやは、沈んでいて顔を下に向けている。
「さや？」
私の問い掛けにさやは答えない。もう一度名を呼ぶ。さやは俯いたまま、膝の上で両手を握り締めて肩を震わせていた。さやの手に雫が落ちていた…さやは声を出さずに泣いていた。
「さや…何があった？」
私の問い掛けにさやは漸く答えた。
「旦那様…祝言を挙げるのは真の事ですか」
「さや…何故、それを何処で知った？」
さやは私の問い掛けに答え様とはせず、手の甲で涙を拭っている。声を震わせて私の問い掛けに漸く答えた。
「昨日でございます…旦那様が夜のお勤めの時に…」
さやは泣き止まず、手の甲で涙を拭い下に俯いたまま黙ってしまった。
「すまぬ、さや…十日後には祝言を挙げる。それも、母上が決めた縁談だ。断る事は出来ぬ…」
さやは顔を上げ、泣きながら私に言った。
「さやは嫌です！大好きな旦那様が祝言を挙げるなんて…あの人が嫌い、さやはあの人が嫌い、だって大好きな旦那様を取るから…」
さやの顔は涙で濡れていた。濡れた眼は私を見据えている…さやが私を思っていた…私はさやを抱きしめた。
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