彼は一度任務につくと、何週間…何ヶ月も連絡が無くなる。
私はいつも通り、ティームの他の隊員達の奥さんや家族と、お互いの不安や寂しさを共有しながら生活する事で、気を紛らわせている。
基地のあるバージニア州のノーフォークはとても素晴らしいところ。
私は特に秋が好きだ。
夫や父親、息子が戦場へと、しかも、どの部隊より過酷な任務についている事を皆理解しているだけに、その不安な気持ちは、同じ立場の人間でなければ、なかなか理解できない。
だから常にニュースは気になる。
彼の優しい包容からちょうど3ヶ月たったあの日、私達の目に飛び込んできたのは、故郷日本の惨事だった。
大地震と大津波
私ははじめ映画かと思った。
けれど、それはあまりにも凄まじい現実たった。
Oh my god!
その場にいた皆が発した言葉
実家への連絡がなかなかつかずに、私は不安にかられた。
やっと連絡が取れ、東京の家族には何ら被害が無いと知り、ほっとしたものの、被災地に惨状を聞かされ、私は言葉を失った。
彼の家族の無事も確認できた数時間後、アフガンの彼から電話が入った。
「そうか…良かった…でも、被災した人達は途方に暮れてるだろう…僕はすぐ日本ひ行きたい。何でもしたい。でも、今は動けない…」
悔しげな彼の声に私は
「任せて。私が行くから」
それからすぐに私は日本へと向かった。
私は微力ながらボランティアとして働いた。
ここでは語り尽くせない現実の中で
そんな中で、東北の人々の忍耐力に私は様々な事を学んだ。
なんて凄いの…
私はアメリカへの帰路、その忍耐力がもしかしたら憎しみの連鎖を止める力になるのではないかと、考えていた。