蝋燭の火

けん  2006-09-14投稿
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日が暮れかけた頃、佐藤五郎は大阪駅前の喧騒の中にいた。突き刺すような夏の日差しがとうに失せたとはいえ、焼けたアスファルトの匂いがまだ辺りに漂う。男は何をするでもなく、ただ人々の行き交う通りに目をやっている。禁煙したはずの煙草の本数を、特に気にする様子もない。駅のほうでは、電車が次々に疲れを吐き出していく。大阪の街は、なおも日中の活気を継続し、次第に艶やかな夜の雰囲気を帯び始める。そうして街は、休むことなく機能していく。

佐藤五郎は郊外の鋼鉄工場に勤務していた。さびれてはいるが、広い敷地の中にある大型の工場である。そこで加工された製品は、海外へ輸出するものが主で、収益のほとんどもそこが源泉となっていた。近頃、五郎は主任の地位を任ぜられ、自らの仕事はもとより、部下たちの労働に対する教育をも受け持つこととなった。
 「五郎さん、人生は短いってほんまですかね? やから自分のやりたいことは死ぬまでにしとけ、って」
 休憩時間になると同僚の小安毅が話しかけてきた。同じ年に入社したいわゆる同期である彼は、その気さくな性格から、当時から五郎の良き話し相手となっていた。仕事の外では毅とよく飲みに行ったりもしていた。五郎より三つほど年が若い毅は、それでも先輩としての彼を慕っていた。
 「実はね、おとつい母方のじいさんが亡くなってもうたんですよ。そのじいさんがしょっちゅう言いよったんですわ。『ええか毅、人生は短い…ほんで一度しかあらへんさかいに。うまいことやらなあかんで』って。いやいや僕ね、相当なおじいちゃん子やったんです。やから今さらやけど言葉が染みてくるいうか、色いろ考えてしまいますわ…」
 五郎は社内販売機で買った清涼飲料のカップを片手に、普段見せない毅の様子に珍しく思いながらも、真剣に耳を傾ける。
 「自分、五郎さんと一応同期っていうかたちでこの仕事今まで頑張ってきてるんですけど、自分のやりたいことってほんまは何なんや、って最近思うんですわ。…あかんあかん、辛気臭うなってもうた。そや、五郎さん。ミナミのほうでええ飲み屋見つけたんですわ。今夜ぜひ行きましょや」
 休憩所に置かれたラジオからは、ビートルズの『I Can Work It Out』が流れていた。

 その後引き続き仕事が再開されてからも五郎はぼんやりと考えていた。
――人生は短い、か。

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