それから一年経った秋、
僕は大学生になっていた。
忙しい部活やバイトに明け暮れて、
充実した日々を送るなか、
僕は死んだうさぎの墓標を見ては、
共に暮らした日々を懐かしむ。
そのことを考えるたび、
僕は共に一夜を過ごした、
あの女の子のことを思い出す。
彼女は突然、消えてしまって、
それ以来姿も見たことがない。
残っていたあのうさぎの毛は、
一体何だったのだろう?
僕はいつも、あの子のことが、
恋しく思えて仕方なかった。
そんなある日、
僕は自転車で、町の外れ、
山の中にある、
ひっそりとした、風呂宿へ、
一人で旅に出掛けていった。
夏も終わり、大気は涼しく、
山々に囲まれた露天に浸かり、
僕は静寂の中、
最高の気分を味わった。
風呂を出て浴衣に着替え、
湯屋の外へと出た僕はしかし、
余りの偶然に目を疑った。
あの日出会ったあの子がそこで、
綺麗な浴衣に身を包み、
風呂上がりにほてった身体を、
夕暮れの風に冷ましているのだ。
彼女は僕を認めると、困ったように、
顔を赤らめ、恥ずかしそうに微笑んだ
その一瞬は、僕に取っては、
無限のように長かった。
夏の終わりの蝉たちの、鳴き惜しむ声の残響が、
僕の思考を掻き消して、
頭の中を真っ白にした。
彼女は自分の浴衣を指差し、
すこし戸惑った顔をして、
湯屋の中へと戻っていった。
しばらくしてから、
出てきた彼女は、
あの黒いワンピースにすっかり着替えて、
まるで同意を求めるように、
僕に向かって微笑みかけた。
僕は未だにどうして彼女が、
僕の事を知っているのか、
不思議に思っているのだけれど、
彼女と一緒に居るだけで、
そんなことは忘れてしまう。
僕は彼女を自転車の、古びた荷台に座らせて、
ちょっと離れた原っぱに、
全速力で漕ぎ出でた。
空にはすでに、満月が登り、
夜が近付いて来ようとしていた。
後ろにいる彼女の髪からは
湯上がりのやさしい匂いか
漂ってきて、きゅっと心が引き寄せられる。
走り抜ける夜の大気は、
とても涼しく気持ちいい。
僕は高台にある原っぱで、
自転車を止めて、
彼女を降ろし、枯れ草の原
っぱで、背伸びを一つ。
うさぎの少女の横顔は、
昇った満月に照らされて、
少し大人っぽく映って見えた。
彼女は後ろで両手を結び、
くびを月の方へ伸ばすよう
にして、背伸びの格好で立
っている。
彼女はそれから僕にこう言った、
「あのお月さまには、誰が住んでるの?」と。
僕は中天にかかった月の、
そのでこぼこの表面にある
、うさぎの形のしみを見て、
直ぐに「うさぎさん」と答えてしまう。
彼女はまるで、それが答であるかの様に、
満面の笑みを僕に向けてく
る。僕は彼女の手をとって、
原っぱにごろんと仰向けになる。
闇夜の空には満天に、
星々の光が輝いていて、
その美しさは僕もあの子も、
コクりと息を飲むほどだ。
彼女は僕の、浴衣の袖を、
自分の体に引き寄せて、
ぎゅっと抱きしめるようにして、
瞳を閉じた。
いつしか僕はうっとりとして、
彼女の手を握りしめたまま、
深い眠りに落ちていた。
僕が目覚めたとき
そこは旅館の、
ふかふかした布団の上だった。
少女の姿はどこにも見えず、
僕は夢だったのかと疑った。
握りしめた手の感覚に、
僕が右手を開いてみると、
そこにはうさぎの細い毛が、
沢山手のひらにくっついていた。
僕はそっと瞳を閉じて
、握ったあの子の柔らかな、
掌の感触を懐かしむ。
きっとあの子は僕の子うさ
ぎの生まれ変わりに違いない。
月に行ったはずの、
あの子うさぎが、
可愛らしいあの娘になって、
時々会いに来てくれる。
幸せな気持ちに満たされながら
僕はまたふっと、眠りに落ちた。
それから僕は、彼女に再び、
出会うことは無くなった。
けれどもそれは、寂しくはない、
なぜなら夜空の、
月のどこかにあの子は
きっと、いるはずだから。