目の前に知らない女がいる。
こちらを覗き込んでいる、と言えるだろう姿勢で、俺の前にいる。
きっと、自分を殺した相手を探しているんだろう。
目がないから、見つけられないけど。
「〇〇号室の患者さん、最近は大人しくなりましたね。
以前は、顔のない女がどうの五月蝿かったのに」
「やっと自分の殺した相手と向き合う決心でも出来たのかしら」
「まさか。そんな事が出来る人は精神病院に入らないわよ」
看護婦達の口さがない噂にも、当の患者は知らん顔で、明後日の方を向いている。
医者の東條は、その患者を遠巻きに観察するのが日課だった。
顔のない女が悪夢を見せる、と妄想する、白髪頭の殺人犯。
それだけなら、さして注目に値しないが、同じ顔のない女の妄想を抱える者が、最近、外来に何人か来ていた。
一体何が原因なのか、殆んどの者が心当たりがないと言った。
何の接点もない彼らが何故同じ妄想を抱くのか、あの患者を観察すれば、少しはわかるかもしれない。
そう考えて患者を観察し続けるも、目に見える変化と言えば、白髪が伸びた事くらいだった。
ある晴れた日、その東條の報われぬ観察も終わった。
「まだ顔のない女を見る事がある?」
そう尋ねた東條に、その患者は
「気になりますか。
見せてあげる」
白髪頭の若者は宣う。
若者がどんな顔をしているのか、東條には見えない。
「もしかしたら彼女、俺みたいなのをここに連れて来たくて悪夢なんて見せたのかなぁ?
本当はアンタ達にも、俺なんかよりずっと前から、"彼女が死んだ時から"彼女の事が見えてたんじゃないかな?」
ガサゴソと、紙製の袋に何かを入れる音、次いで若者が病室を出て行く音がした。
東條の前には今、女がいた。"自分が死なせた"顔のない女が。
看護婦の悲鳴が聞こえた。
眼球のなくなった眼窩でそちらを向くも、見えるわけもなく。
制服を着た小学生が、電車の扉近くに置かれた袋を見つけた。
一緒に綺麗な花が置いてあったから、お祝い事の品物を、誰かが忘れてしまったのだろうと思った。