「MLSは、
相対する人間との関係を
操作することが
出来るの。」
皇鈴は
コーヒーカップから
手を離し、
テーブルの上で
指を組んだ。
向かい合わせに座る
明広の眼が
次の言葉を待っていた。
「あなたの前に居れば、
あなたの
父にも母にも
彼女にも親友にも
なれる。
もちろん、
中学校の影の薄い同級生や、
はたまた
道でたった一度
すれ違っただけなのに
何故か印象に残っている誰か
かもしれない。」
「完全に自由自在か。」
「そういうこと。」
窓の外は、
木々の向こうに
初夏の太陽が
溢れている。
柔らかい風に吹かれ、
葉と葉が擦れ合い、
かさかさと
心地よい音を
たてている。
「情報は
あなた自身が
無意識に読み出す記憶と、
MLSの
リアクションに対する
あなたの反応、感情の動き。
001が
あなたの彼女になった瞬間を
思い出せる?」
瞬間、音がやんだ。
葉影だけが
明広の視界の隅で
揺れ続けている。
「いや、
思い出せないな。」
口に出した途端、
息が苦しくなった。
足元にあった泥に
いつの間にか
腰まで浸かっていた。
冷たい泥が
腹を押さえつける。
泥の重みと
冷たさが
体に差し込んでくる。
泥の上に、
不安が
層をなしている。
薄められた空気は
吸っても
奥まで入る前に
消えた。
「分からなくて
当然よ。」
「分からなくて
当然よ。」
皇鈴の顔に
先程まであった
笑みは
微塵も残っていない。
それでも
皇鈴の言葉は
裏返って、
ちくちくと
明広の胸を刺した。
「MLSに相対したとき、
MLSの姿形や声が
あなたの彼女と
同じだったから、
あなたが
あなたの彼女だと
認識したのではないの。
MLSは
あなたの認識そのものに
介入する。」
化け物か…
病室のベッドの上で
花束を膝にのせたまま、
『覚えてないの』と
言った花鼓の姿が、
思い出された。
花鼓は
少し赤くなった目で、
膝の上の花束を
ぼんやりと見ていた。