「疲れた…」
長年連れ添ってきた病床の妻が弱音を吐いたのを老人は始めて耳にした。
ムリもない。二人の老夫婦はすでに限界を越えていたのだ。
「あぁ…」
苦しむ妻は老人にせがんできた。老人は小さく頷き、病床の妻を優しく背負った。
秋の夜長の中、妻を背負った老人は、古びた家の中をゆっくりと歩き回りながら、妻にあらゆる物を指さしてみせた。
傷のついた柱
シミのついた台所
きしんだ廊下…
どれもこれも老夫婦がこれまで歩んできた証であった。
半世紀以上を過ごした我が家を老夫婦は、何度も何度も往復した。
寝床に着いた妻は命を削るかのように言った。
「ぁりがとぅ…」
老人は苦しむ妻の手を泣きながら優しく握った。
「ありがとう」
…不器用な老人にはそれしか方法がなかった。
長年連れ添ってきた苦しむ病床の妻を、この手で死なせてしまったのだ。
しかし、老夫婦は幸せだった。
なぜなら夫婦の心は永遠に愛で満ちあふれるからである。
秋風の中、老人も間もなく後を追った。