帰路についた武田兵は、皆が等しく無口だった。
強さこそが全ての時代にあってその最たる存在であるはずの彼らは、たった一人の女性に戦慄し、敗走したことでその矜持を著しく傷つけられていた。
さらには、彼女がはっしたオーヴは彼らの知る気の概念とは大きくかけ離れたものであり、未知なるものへの恐怖が彼らをいっそう寡黙にさせていた。
一団の統率者である武田信玄も同様に無口であったが、その心情においては兵士たちと大きく異なっていた。
時折空を見上げては目を閉じて考え込む、その行動を繰り返す信玄。
彼の胸中に去来するものを知るのは、軍師である馬場信房ただ一人であった。
その信房は信玄がのる馬のすぐ後方を随行していたが、彼から信玄に話しかけることはなかった。
それは長年仕えてきた主の心情を察してのことであったが、信房自身が今後の武田家の方針に思慮をめぐらしていて、思考的に多忙をきわめてたという側面もあった。
先の川中島での損失は大きく、その立て直しは容易ではない。
そんな状況下において、上杉家との掛橋となりえたかもしれない武田信之(武田家での半次郎の正式な姓名)を失うという愚行をおかしてしまった。
この事により上杉家との関係はおろか、嫡男義信との確執が深まるのも明らかであり、信房はその対策にもせまられていた。