失意の帰還を遂げた信玄。
城で彼をまっていたのは、不信感をつのらせた義信と一通の親書であった。
険しい表情で信玄に対面した義信は、開口するやいなや、兵をともなって半次郎を追った事を叱責した。
そこで、実弟である半次郎の生存が絶望的な状況であることを伝えられると、義信は言葉をうしない、うなだれて一筋の涙をながした。
「……父上、信之に何の罪があったというのですか?」
義信の問いかけに、信玄は口を閉ざして何もこたえなかった。
真実を言葉にしたところでそれは全て自己弁護になり、自身の指揮により掃射された銃弾が半次郎をつらぬいた事実は、くつがえりようがないのである。
見かねた信房が半次郎が被弾した経緯を説明し、シャンバラという国の存在をうちあかした。
そして最後に、信玄の中にも葛藤が存在し、国主であることを第一に考えざる得なかった事で、長年苦悩し続けていたのだと付け加えた。
信房の言葉に耳をかたむける義信。
だが、その声は義信の耳にとどいても、心にまでとどくことはなかった。
「……つまり信之は、国をまもるための捨て石とされたわけか。
父上、人は国を守るために存在するのか、それとも人を守るために国が存在するのか、どちらの考え方が正しいのでしょうな」
静かに立ち上がった義信は、憐れんだ目で信玄を見下ろした。
「信之の魂は私が弔いましょう。
貴方は、御自身が信じる道を進まれるがよい」
退室する義信の背中を見つめる信房。
彼はこの時、近い将来におこるであろう武田家の内乱を、予期せずにはいられなかった。
この数年後、信房の危惧は現実のものとなる。
発端は今川家に対する、外交政策の変更にあった。
桶狭間での屈辱的な敗戦以降、衰退の一途をたどる今川家に対して信玄が同盟破棄の方針を表明すると、今川より正室をむかえていた義信がこれに反発。
二人の確執は、もはや修復不可能となっていた。
その結果、謀叛を企てた義信は密告により計画が露見、蟄居幽閉される事となる。
義信付の家臣団はそれに連座して切腹、放逐等の重い処分をくだされた。
斯くして武田家の陽は陰り、信玄は三男である半次郎に次いで嫡子義信を失い、信房は飯富昌虎をはじめとする多くの盟友を失う運びとなる。