立ち上がろうとした拍子に、木のササクレに衣の裾を引っ掛けてしまい、盛大に裾を破ってしまった伊織姫は、一瞬蒼白になりましたが、「そんなことにはかまっていられない」とばかりに、裾の破れもなんのその、再び立ち上がろうとしました。
ところが、なぜか立ち上がることが出来ません。まるでなにかの引力で引っ張られているようです。
伊織姫は仕方なく、従女の螢に立ち上がるのを手伝って貰おうと思い後ろを向きました。すると──なんとその螢本人が伊織姫の足ならぬ裾を引っ張っていた犯人だったのです。しかも、裾を引く手がビミョーにプルプルと震えています。
(マ…マズイですわ。)
伊織姫は心の中でそう思いました。(この螢という従女は…──)
螢が手を裾から放したと思った刹那、伊織姫の耳元で絶対零度の声が響きました。
「姫様…もしやそのまま逃げるおつもりですか?左大臣家の姫ともあろう方が、ま・さ・かそのようなみすぼらしい格好で歩き回るわけございませんわよね…?うふ☆」
姫はあまりの恐ろしさ──特に最後の「うふ☆」は恐ろしさ3割増の威力をもつ──に、体の芯から固まり、螢はそれをいいことに何処からか針と糸を出してきて、破れた裾を繕い始めました。
…しかし一刻も早くこの場を立ち去りたいという想いが強い伊織姫は、螢の絶対零度の囁きにも負けず、自力で呪縛を解くと、「そんなこといいですわよ螢!」と螢の針作業中の手を何度も止めようとしました。
しかし螢もなかなかしぶとく、伊織姫の妨害にも負けずに「左大臣家の品格を落とすわけには参りませぬ!」と、器用に伊織姫の邪魔な手を避け、繕いを続けます。
そんなこんなで二人が争っている間に、二人になぜか興味を抱いた帝が、そっと庭を降り、二人に近付いて来ていることに、当の本人たちは気付きもせず、足許でちっちゃな攻防戦を繰り広げておりました。