伊織姫が気が付くと、そこはさっきまでの庭ではなく、少しカビ臭い匂いのする古い建物の中でした。
どうやら、従女のふりをして仕えていた螢雪という男に、気絶させられ連れ去られたようです。
伊織姫は事態を飲み込むと、外に出る出口を探すため立ち上がり、歩き出そうとしました。
しかし、なぜか一定の歩数以上歩けません。姫は一旦しゃがむと、手探りで足元を探りました。そうすると、足首に紐のようなものが頑丈に巻かれているのが判り、逃げられないと悟って姫はガックリと肩を落としました。
その時、後ろの方から、ククッと、低い笑い声が聞こえてきました。伊織姫が暗いなか目を凝らして見ると、自分を見つめる二つの瞳があることに気付ました。姫はその瞳の主に向かって、「螢…いいえ、螢雪…ですね?」と、少し震える声で言いました。
すると、伊織姫に名を呼ばれた瞳の主は、ゆっくりと伊織姫に歩みより、近くにあった燭台に火をともしました。
火の明るさがじんわりと闇を照らし、闇の中から男と伊織姫の姿を浮かび上がらせます。
明かりに照らされて伊織姫の目の前に現れたのは、やはり、つい数刻前まで伊織姫に仕えていた、従女の姿をした螢雪でした。姿形は螢のまま、ただ、穏やかだった瞳が、今は冷酷な光も宿しています。
螢雪は、座り込んでいる伊織姫に目線をあわせるように座ると、黙って懐から短刀を出して右手で刀身を抜きました。
そしてもう片方の手で自分のその長い黒髪を肩の辺りで束ねると、そこから下の髪をザックリと切ってしまったのです。
そして、唖然として見ている伊織姫に向かって、「思ったより長いな、私の髪は。」と、悪戯っぽく笑って見せました。もとが整っているだけに、笑った顔もなかなか粋な感じがします。
今や肩までしか髪がなくなった元・従女を見ながら、伊織姫は、(こんな端整な顔立ちなら、女としてまかり通ってしまっても、おかしくはございませんわ…。)とぼんやりと考えていました。