「ねぇ、…痛まない?
腫れは少し引いたみたいだけど」
「ま、多少は仕方ないさ。自分で蒔いた種だし。
うわっ! …しみるなぁ全く」
熱い紅茶が切れた口の中を刺激してくる。
それに辟易しながらも、僕はその不思議に落ち着く香りを楽しむことにした。
「これ、ラプサン何とかっていう紅茶だろ?
煙でいぶして香り付けするとか聞いたな、確か」
「あーら、…千尋ちゃんの家にでも…お泊りしてるのかしらねぇ、ふふ」
「静さん、千尋を知ってるのか?」
「当然よ。
大沢千尋さんは私の可愛い教え子ですもの。
あの娘、ラプサンスーチョンが大のお気に入りよね」
「何、…教え子だと?」
葛城静は、副業で週に一度紅茶コーディネーターの講習会を開いているとの事だった。
つまり、千尋はその受講生の一人という訳だ。
「それじゃ、気をつけて帰ってね」
「迷惑掛けて済まなかったな。じゃあ」
「あ、…待って!」
「何だ?」
不意に僕を呼び止めた静は、いきなり抱きついて唇を重ねてきた。
「お、おい、…」
「古女房からのご挨拶よ。ただ、今生では別々になったけど。ふふっ♪
千尋ちゃんに悪いから、…じゃあ、またね」
「ああ、……」
その直前まで僕は、明け方まで共に過ごした相手が光り輝くばかりの美女である事など、全く気にも留めていなかった。
それが、別れ際の出来事で「惜しい事をしたか…」と俄かに痛感させられたのである。
しかしながら、……
傷の痛みに耐えながら怪しげな話をエンドレスで聞かされ、不届きな気持ちになるかと云えば、…やはり考え直すのが普通だろう。
曰く、
『君子危うきに近寄らず』
大体、あんな話を鵜呑みにする程粋狂ではない。
僕は自宅に向かう道すがら、昨夜の話と今朝の出来事は忘れることに決めた。
一瞬、大沢千尋がキッと目を吊り上げている映像が頭をよぎったせいもある…。