一般の通行証の場合、オリュンポスに入るまでに様々なチェックを受けなければならず、常に長蛇の列が出来ている。翌日になってから入れるようになることも珍しくないため、簡易ではあるが宿泊施設が設置されているほどだ。
ほとんどの貴族や騎士団の上流階級でさえ、列に並ぶことはないがチェックは受けなければならない。しかし、帝室の刻印が押された特別な通行証「スレイプニル」となると列に並ぶこともなく、全てフリーパスで通れるのだ。それゆえに、よほどのことがない限り発行されることはなく、現にここ数年間発行された記録は無い。
それが発行されたということは、国家規模の緊急事態が起きている可能性があるかもしれないということ。
それが今、目の前にある。ゼノスが驚くのも無理もない。
「これは本物か?」
思わず振り向こうとして、首に当てられたナイフが皮膚を割く。
「つっ!」
再び前を向くゼノス。首からは血が垂れている。ゼノスは思っていた以上に気分が高揚していた自分に内心驚いていた。
「ええ、もちろん本物よ」
スレイプニルは皇帝自ら発行するので、それを持つ者はティノア神聖帝国の関係者であることは確かである。
「……分かったよ。オリュンポスへ行こう」
すると、ピンと張り詰めた空気が和らいだ気がした。
「それじゃ、明日またここに来るわ。あと、これを」
セティは紫色のゼリー状のドロッとした液体が入った小瓶をゼノスの横に置いた。
「これは?」
と、ゼノス。
「傷薬よ。よく効くから塗っておくといいわ。それと…これは返してね」
サッとスレイプニルを取り上げ、ゼノスの視界からセティの細い腕が消えると同時にフッと気配も消える。
首の冷たい感触もなくなり、ホッと胸を撫で下ろすゼノス。しかし、殺気を全く感じなかったのはセティの技量なのか、そもそも殺す気が最初からなかったのか…
「それにしても、置いていったこの傷薬」
天井からの照明に照らされ、鮮やかな紫色に光る物体。見れば見るほどに毒々しい。
「違う意味で効きそうだ」
先ほどとは違った緊張感だ。小瓶の蓋を開け、傷口に塗る指が微かに震えているのは気のせいか。
作業を終え、布団を被り、
「このまま、目が覚めないなんてことはないよな」
一抹の不安を覚えながら、ゼノスは夢の世界へと旅立って行った。